筒に毛糸や五円玉を止める竹ひご造りです。

畑の横の竹藪から3年ものの真竹を1本失敬してきました。
寒の内なので竹が一番堅い時でしょうか。

一節ずつ切り揃え、16等分に裂きました。
畔で切り揃えていたとき、切り終える直前に竹が落ちて左手をのこぎりが直撃、名誉の負傷となりました。

出来たものをカッターナイフで大き目の太さに整形します。最終的には穴に合わせてきつめの太さに作ります。小学生頃にめじろ籠を竹で組んだ記憶がよみがえります。小刀は「肥後の守」でしたね。ズボンの太ももの部分に竹と小刀を立てて、少しずつしごいて削っていきます。一緒に遊んだ友達を思い出しています。みんなどうしているだろうかと懐かしがっておりました。

銭太鼓を作成しています。失敗談その2です。

筒の作り方の巻き

銭太鼓の筒は、水道用25mm径の塩ビ管を使用します。
当初、40ミリのの紙製の筒芯を使用するアイディアがありましたが、少し大きすぎることで却下。次に30mm径の塩ビ管がよそさうに思いましたが、これも径が少し大きすぎるそうです。でも、中に入れる五円玉の動きは余裕があってGoodに思いますがね。

25mm径の塩ビ管に落ち着きましたが、これにドリルの穴開け作業で不良品が山のように出かしました。塩ビ管ですので簡単に穴が開きますが、できた穴に竹ひごを通してみてる精度の悪さが一目瞭然です。高さが違う、真後ろに出ていない、など欠陥商品ばかりです。五円玉を通す穴が真後ろに出ていないと25mm塩ビ管の中で動きが鈍くなります。これは致命傷ですね。

穴を管の真後ろに開けるにはジグ(jig 治具)が必要です。13mmの塩ビ管をつなぐ部材がちょうど中に入ります。これに真横の真後ろに穴が開くように数回の失敗で何とか作成しました。
が、ジグも塩ビ管のため長持ちしません。穴が次第に大きくなってきますので、量産用には不向きです。
ホームセンターの中を探すこと小一時間。イレクターの金属製継手が25mm径なので切れ目を少しこじ開ければ使えそうです。価格は298円でした。他にドリルのボール盤が6,980円で在庫整理価格で出ています。店の奥の工作室を覗くとボール盤が無料で使用できると張り紙がありました。サービスカウンターで尋ねると持ち込み品でも使用できるといわれました。

ということで、穴あけはホームセンターのボール盤を使用することにしました。ジグはありませんので、1つ目の開けた穴に竹ひごを挿入し、水平又は垂直を確認しながら、管の一番高そうなところに狙いをさだめて作業を敢行しました。

塩ビ管の長さは33センチとし、切断は昔々イレクターでバラの棚を作ったときに購入したカッターを使用しました。サイズがピッタリでGood です。
端から15mmに毛糸を縛る竹ひご用穴、40mmに5円玉3個を通す竹ひご用穴を90度違えて開けます。五円玉は音が出易いように中でクロスするようにします。25mm塩ビ管は4m長のものを780円で購入しました。

結果はなんとか使用に耐える精度は出たかと思います。
竹ひごの余った部分をのこぎりで引きちぎりましたがのこぎりが滑って左手中指を名誉の負傷。
銭太鼓の作り方を参考に自作しています。数回に分けて失敗談を綴ってみます。

その1
銭太鼓には筒の中に五円玉が6枚入る予定です。
五円玉へ両替しようと某大銀行の両替機に向かいました。千円分を両替すれば全員にまかなえると思いました。千円札1枚から五円玉4本を希望しましたが、1本から増加できません。
しかたなく、250円分で両替しましたがおつり750円と当初あっても700円しか出てきません。
両替済みの取り出し口が開き、中には2本ありました。
5円玉の他に1円玉の50枚1本が追加されています。

窓口で相談しました。
「不要な1円玉1本が出てきました」と。
しかし、行員は1円玉も要求したのではありませんかとのたまわった。
五円玉1本しか両替を希望していませんというと、後方の行員に相談して「おつりの50円がなかったからだと思います」という。この理屈はちょっと不思議! おつりの50円がないとは表示がないので多分違うと思う。
「不要なので50円硬貨1枚と交換してください」と申し出ると、この用紙に氏名・住所と交換金額を記載して番号札を取ってお待ちください、と言われてしまった。
一気に数本交換できないのですかと質問したら、50枚を超える枚数の場合には手数料を350円いただきます、とのこと。これでは5円玉1本の合計金額より高くなってしまうので、割にあわないこととなる。

教訓
両替は50枚以内で行うこと。それ以上欲しい場合にはキャッシュカードの異なるもので次の分を両替してもらうこと。
従姉より熊本日日新聞社の五年史をもらった。従姉のお友達からご主人の研究資料の一部にと寄贈されたもののようである。遺品を整理していたら出てきたといって送ってくれたものである。
熊本で暮らしたのは高校生までであり、特にこれと云って教え叩き込まれた記憶はないが読んでいて熊本県人とあってよかったという気分になってくるのはどうしてか。

熊本日日新聞社は、昭和22年4月1日を以って創立満五周年を迎えた。宇宙の悠久に比すれば、五年の歳月は眞に一瞬に過ぎない。・・・とはしがき(p2)ではじまる27ページにすぎない冊子である。鉄のホッチキスは錆びて黒茶けた痕を残している。

以下、抜き出してご紹介します。
kumanishi5years.jpgページをめくると、以下の文言が目につく。
熊日の性格と理想(p1)
1. 自由獨立
1. 厳正公平
1. 家族共同体制の確立
1. 社會的水準の向上

[熊日の創立](p3)
熊本日日新聞は、企業整備に依り熊本縣下に於て古い歴史をもって居つた二つの新聞、九州日日新聞を廢刊し、九州新聞は解散して、兩社關係者に依り新に創刊した資本金拾九萬五千圓の株式會社である。昭和十七年三月二十六日熊本市公會堂に於て創立總会を開き、三十日に登記を済ませ、四月一日創刊號を發行した。当時の重役陣容は次の通りであつた。
取締役社長 伊豆富人
(以下13名が記載されている。省略)

[機構改革](p6)
幾度かの現業部門の機構改革が行われているが、18年3月には現業部門に総務局が作られ、加えて役員が現業部門中心に一新されている。取締役であった多くの方々が相談役に退き、現業部門のトップが重役に昇進している。

昭和18年4月6日の臨時株主総会で次のように選任されている。(p5-p6)
取締役社長 伊豆 富人
同副社長 吉川 義章
取締役 西嶋 満
同 村上 純
同 矢野 一郎
同 小堀 周二
同 有働 達喜
同 池添 一夫
監査役 大塚 勇太郎
同 中野猛雄
昭和20年12月5日の定時株主総会に於いて重役の選任が行われ、全員留任している。

[經營並びに編集方針](p8-p9)
※特筆すべきはここの部分かもしれない。

昭和十七年三月三十一日、熊日出發の際、伊豆社長は本社三階講堂に於ける創業式に於て、熊日經營並びに編集方針を演説した、それは社業の發達、工場施設の擴充は素より、特に従業員の待遇を改善して生活の安定を期し、品性を陶冶して新聞の倫理性を高め、新聞並びに従業員の社會的地位を向上せしむること、資本の搾取なく、勞力の被搾取なき勞資一如、家族共同体制を確立すること、さらに編集方針としては自由、獨立、厳正公平なる新聞を製作することといふことであった。(以下省略)

[5ヶ年間の重要事項](p13-p20)
※ここの部分にも特に目を引くところがあった。

ホ、輿論調査(p18-p19)
熊日は縣下唯一の民衆の新聞といふ立場から新聞の自由、獨立、報道の正確迅速、立論の公正、新聞の倫理の高揚等を信絛として編集して居るのであるが、獨善的に陥らず、足らないところは改善して、眞に民衆に信頼され、親しまれる新聞を製作するために、昭和二十一年七月次の諸事項に依り、輿論調査を行った。この擧は始めての試みであつたが、讀者の反響を呼び各項目に對する多數の回答が集り、編集に稗益するところが少なくなかった。
1. 熊日の紙面全般に對する御批判御希望
2. 熊日の社説、新生面、民の聲に對する御批判御希望
3. 熊日の報道記事に對する御批判御希望
4. 熊日の寫眞に對する御批判御希望
5. 熊日の印刷に對する御批判御希望
6. 熊日の文化欄、子供のページに對する御批判御希望
7. 小説、碁、將棋等の掲載に就て貴下の御意見
8. 其他の編集上に對する御注意御希望

末尾には当時の幹部と全従業員の氏名233名が記載されている。(p21-p27)

戦後に紹介されてきた西洋一辺倒の経営のあり方がより良い方式と云わんばかりでもてはやされてきたが、古来からの経営のあり方の方が普遍的な価値観があったのではないかと経営や編集方針、世論調査などを読むと感ずる。ゲルマン民族か東海岸のエスタブリッシュメントのものが唯一の経営論ではなく、江戸時代から明治時代にかけて来朝した異人が感嘆した日本人のありようをもう一度調べなおしてみることも年の初めの誓いとしてはいいことかも。
我が家は14年前に建て、ケーブルTVで受信しています。各部屋にTVコンセントを設けています。

最近のデジタルTV用アンテナが小型で安価になってきたので、実験してみました。
DXアンテナ製平板アンテナを取り付けたら、意外と良好に受信できています。アンテナ部分にブースターが内蔵されていますし、電源とセットになっていて便利です。

ということで、BSも受信できるかとパラボラ型のアンテナを購入して取り付けました。方向も簡単に決まりましたが、BS4/BS8チャネルが受信できません。調べると両方ともトランスポンター13番で、周波数も高めです。その上のトランスポンダー15のNHK BS1/BS3やトランスポンダー19のGreen TVなどは受信できます。

アンテナの方向を再調整しているうちに、だんだん映りが悪くって行きます。とうとうBS1/BS3の映像がブロックまだら模様になりました。TVのアンテナレベルの指示値も30以下になってきました。
結局、アンテナの方向は最初のところ付近に落ち着きました。

分配器をバイパスしたらうまく映ります。
分配器の表示ラベルには10-1750Mhzとあります。BS/CSを受信するには2600Mhz位は欲しいところですね。分配器を交換することにしました。


冬野菜が順調です

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昨年の秋冬野菜は壊滅状態でしたが今年は家庭菜園を始めた頃のようによく育っています。
今年の冬野菜づくりではうね間を十分に広くとって栽培しています。何が作用したのか、ダイコンや聖護院ダイコンは例年以上の出来です。ハクサイも昨年は本葉が成長する頃に虫食いにあって全滅しましたが、今年は順調です。虫の数が極端に少ないように感じます。

IMG_0980-1.jpgのサムネール画像ハクサイの畝

このハクサイは、冬峠を種まきしました。このうねは間引きしたものを定植したものです。
定植しなかったもに比べて初期の成長度合いが遅い気がしましたが、この時期ではほとんど成長が変わりません。12月に入れば収穫できるかもしれません。その頃には種まきから90日経過します。
IMG_0993-1.jpgのサムネール画像ダイコン、カブ、ニンジン

ダイコンやカブは最近になく上出来です。
ニンジンは例年通りの収穫です。
一本だけ生き残った摘み菜IMG_0986-1.jpg

いつもは自生えの苗で済ませていましたが、今年は芽がほとんど出てきませんでした。
この一本が来年のタネを収穫する元手となります。
大事に育てなくではなりません。
タマネギは最終的に320本くらいが生き残りました。少し足りそうにありませんので、追加で100本もみじを購入しました。こちらも虫食いに会いませんでした。
はがきブログ 2011/2/23

名古屋より新幹線を乗り継ぎ、待望の九州新幹線で熊本に到着した。
いとこから聞いていた昔の九州新聞社ビル跡を探して、市電の辛島町に下車した。電停の前で中共を批難している二人連れがおり、台湾の人を救おう、国籍が中国となっており中華人民共和国や台湾省となるのはおかしい、などと訴えていた。
一方の男に聞いてみると、李登輝友の会が在日台湾人の国籍表記を台湾とするよう運動をしているという。私は、昔から台湾は中華民国といい、大陸は中華人民共和国と聞いている。朝鮮半島の国は、大韓民国、朝鮮人民共和国と称し在日朝鮮人の国籍表記は韓国と北朝鮮で、どちらも選択していない在日朝鮮人は朝鮮籍だと聞かされてきた。台湾人の国籍表記は台湾でよいと考えるので活動に賛同し署名した。当日の第一号だという。東日本大震災への義捐金200億円以上を送ってくださった台湾人の皆さんへのささやかな恩返しのひとつである。それにしても批難先は中共ではなく、入管か政府だと明確にして訴えないことには、問題が理解できずに通り過ぎた人が大部分ではないかと感じた。
白山の圓福寺さまが募集されたツアー行事に参加しました。
今回が3回目だそうで、晴天に恵まれ絶好の参拝・旅行日和でした。
2台のバスに分乗し、京都東インター経由で比叡山まで登ります。

途中、名神高速で追突事故が発生し、八日市付近から竜王インターまでが大渋滞となっていました。前を走るバス会社の運転手より受けた渋滞の電話連絡で八日市からインターを降り、竜王まで一般道を経由しましたので、約1時間予定より到着が遅れました。

延暦寺に到着後、阿弥陀堂で先祖供養のお参りをいたしました。本山のお経はゆったりと読経されますのでいっそうありがたみが感じられます。昼食は会館の精進料理弁当をいただきました。

午後からは根本中堂の拝観と説明を受ける予定でしたが、京都で開催される「国民文化祭」の東日本大震災被災地への追悼を込めたセレモニーが始まる時間帯に遭遇し、薬師様へのお参りを簡単に済ませ、入口近くの外で説明をうけました。ちょうどそのとき、セレモニーへの参加者 ( 山田府知事、東儀秀樹氏一行 ) が目の前を通過されました。セレモニーでは不滅の法灯から分灯された灯籠も知事に貸与されるとのことでした。

大講堂で般若心経の読経が行事で使用中のためできず、常行堂へ変更となりました。こちらのお堂は今年の修行僧が坐行のため使用されていなく、これまた貴重な機会を授かった感じです。常行堂での修業は90日間の立ち修業と伺いましたが、座ることができるのは食事、風呂、便所の時だけで眠るのも2本の丸太が渡された柱の間で立ったまま寝るのだそうです。なかなか辛い修業ですね。

順調な帰路でしたが、往路の時間分だけ帰りが遅れました。
個人で参拝しても行くことができないところへ案内される機会に恵まれ、貴重な経験をさせていただきました。

プチ菜を卒業

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我が家のプチ菜(ホンダ製小型耕運機)のローターが回転しなくなり、点検に持っていきました。
たまたま、修理の担当者が不在で社長と修理の会話をしていました。
ホンダの構造は比較的単純で他社製耕運機に比べて故障頻度が低いとか、一つ上のランクのこまめ(F220)は世界的に使用されている機種だとか、基本設計は30数年前のままとかホンダ製品を熱っぽく語ってくれました。

プチ菜の修理はローターをドライブするシャフト/クラッチなど相当の部品交換が必要だと考えていましたので、こまめの価格を聞いてみました。オプションをつけなければ税込で85千円にするとのことで購入することになりました。

午後から畑で試運転しましたがプチ菜はクラッチがエンジンの回転が上がると入る仕掛けですがこまめはクラッチ・レバーが付いています。右ハンドルがエンジンの回転制御で、左ハンドルにクラッチ・レバーが付いています。エンジンの始動は軽やかだし、耕うん時の音もプチ菜に比べると格段に小さく感じます。エンジンオイルを抜く栓も横に出ていて作業がし易そうですね。耕うんしたら良さがわかるといわれていましたが、確かに軽やかに動きますし、耕す深さもプチ菜の倍くらいはありそうです。
自重が27Kgと比較的軽量で、ハンドルも折れ曲がるので軽自動車(サンバ・バン)に乗せるにはぎりぎりの重さとサイズです。その上のサイズでは素人には無理でしょう。

家庭菜園の広さが30坪以上だとこまめが最低のラインかもしれませんね。
ついでに、長持ちの秘訣を教えてもらいました。
エンジンオイルは早めに交換する
古いガソリンは使用しない
長期間使用しない場合には、ガソリン・タンクを空にする
これだけ守れば、メインテナンス・フリーだそうです。

4サイクルの草刈り機も同様だそうです。3年くらいでメインテナンスに持ってくる人はエンジン・オイルの交換をしていないか、注ぎ足して使用しているかだとのたまっていました。

宣伝してくれと言われて、お土産にホンダのエンジンオイル(ウルトラ 1リットル缶)をいただきました。

玉ねぎが生きていました

9月17日に播種したタマネギの芽が出かかっています。
完全に冠水し、畝も低くなっていましたのでタネが洗われて無くなったと思っていましたが芽が折れ曲がりながら背を伸ばしています。

昨年は一か月間くらいは上出来でしたがその後定植できたのは5-6本しかありませんでした。
今年はどうなるでしょうか。10月は例年より気温は高めで、降水量は平年並みだと言っていましたが。

ミョウガが採れました。
ハバネロも12個取れました。他の人よりずいぶん遅れての収穫です。一番なりはタネ用に残してあります。

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