従姉より熊本日日新聞社の五年史をもらった。従姉のお友達からご主人の研究資料の一部にと寄贈されたもののようである。遺品を整理していたら出てきたといって送ってくれたものである。
熊本で暮らしたのは高校生までであり、特にこれと云って教え叩き込まれた記憶はないが読んでいて熊本県人とあってよかったという気分になってくるのはどうしてか。
熊本日日新聞社は、昭和22年4月1日を以って創立満五周年を迎えた。宇宙の悠久に比すれば、五年の歳月は眞に一瞬に過ぎない。・・・とはしがき(p2)ではじまる27ページにすぎない冊子である。鉄のホッチキスは錆びて黒茶けた痕を残している。
以下、抜き出してご紹介します。

ページをめくると、以下の文言が目につく。
熊日の性格と理想(p1)
1. 自由獨立
1. 厳正公平
1. 家族共同体制の確立
1. 社會的水準の向上
[熊日の創立](p3)
熊本日日新聞は、企業整備に依り熊本縣下に於て古い歴史をもって居つた二つの新聞、九州日日新聞を廢刊し、九州新聞は解散して、兩社關係者に依り新に創刊した資本金拾九萬五千圓の株式會社である。昭和十七年三月二十六日熊本市公會堂に於て創立總会を開き、三十日に登記を済ませ、四月一日創刊號を發行した。当時の重役陣容は次の通りであつた。
取締役社長 伊豆富人
(以下13名が記載されている。省略)
[機構改革](p6)
幾度かの現業部門の機構改革が行われているが、18年3月には現業部門に総務局が作られ、加えて役員が現業部門中心に一新されている。取締役であった多くの方々が相談役に退き、現業部門のトップが重役に昇進している。
昭和18年4月6日の臨時株主総会で次のように選任されている。(p5-p6)
取締役社長 伊豆 富人
同副社長 吉川 義章
取締役 西嶋 満
同 村上 純
同 矢野 一郎
同 小堀 周二
同 有働 達喜
同 池添 一夫
監査役 大塚 勇太郎
同 中野猛雄
昭和20年12月5日の定時株主総会に於いて重役の選任が行われ、全員留任している。
[經營並びに編集方針](p8-p9)
※特筆すべきはここの部分かもしれない。
昭和十七年三月三十一日、熊日出發の際、伊豆社長は本社三階講堂に於ける創業式に於て、熊日經營並びに編集方針を演説した、それは社業の發達、工場施設の擴充は素より、特に従業員の待遇を改善して生活の安定を期し、品性を陶冶して新聞の倫理性を高め、新聞並びに従業員の社會的地位を向上せしむること、資本の搾取なく、勞力の被搾取なき勞資一如、家族共同体制を確立すること、さらに編集方針としては自由、獨立、厳正公平なる新聞を製作することといふことであった。(以下省略)
[5ヶ年間の重要事項](p13-p20)
※ここの部分にも特に目を引くところがあった。
ホ、輿論調査(p18-p19)
熊日は縣下唯一の民衆の新聞といふ立場から新聞の自由、獨立、報道の正確迅速、立論の公正、新聞の倫理の高揚等を信絛として編集して居るのであるが、獨善的に陥らず、足らないところは改善して、眞に民衆に信頼され、親しまれる新聞を製作するために、昭和二十一年七月次の諸事項に依り、輿論調査を行った。この擧は始めての試みであつたが、讀者の反響を呼び各項目に對する多數の回答が集り、編集に稗益するところが少なくなかった。
1. 熊日の紙面全般に對する御批判御希望
2. 熊日の社説、新生面、民の聲に對する御批判御希望
3. 熊日の報道記事に對する御批判御希望
4. 熊日の寫眞に對する御批判御希望
5. 熊日の印刷に對する御批判御希望
6. 熊日の文化欄、子供のページに對する御批判御希望
7. 小説、碁、將棋等の掲載に就て貴下の御意見
8. 其他の編集上に對する御注意御希望
末尾には当時の幹部と全従業員の氏名233名が記載されている。(p21-p27)
戦後に紹介されてきた西洋一辺倒の経営のあり方がより良い方式と云わんばかりでもてはやされてきたが、古来からの経営のあり方の方が普遍的な価値観があったのではないかと経営や編集方針、世論調査などを読むと感ずる。ゲルマン民族か東海岸のエスタブリッシュメントのものが唯一の経営論ではなく、江戸時代から明治時代にかけて来朝した異人が感嘆した日本人のありようをもう一度調べなおしてみることも年の初めの誓いとしてはいいことかも。
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