2012年1月アーカイブ

筒に毛糸や五円玉を止める竹ひご造りです。

畑の横の竹藪から3年ものの真竹を1本失敬してきました。
寒の内なので竹が一番堅い時でしょうか。

一節ずつ切り揃え、16等分に裂きました。
畔で切り揃えていたとき、切り終える直前に竹が落ちて左手をのこぎりが直撃、名誉の負傷となりました。

出来たものをカッターナイフで大き目の太さに整形します。最終的には穴に合わせてきつめの太さに作ります。小学生頃にめじろ籠を竹で組んだ記憶がよみがえります。小刀は「肥後の守」でしたね。ズボンの太ももの部分に竹と小刀を立てて、少しずつしごいて削っていきます。一緒に遊んだ友達を思い出しています。みんなどうしているだろうかと懐かしがっておりました。

銭太鼓を作成しています。失敗談その2です。

筒の作り方の巻き

銭太鼓の筒は、水道用25mm径の塩ビ管を使用します。
当初、40ミリのの紙製の筒芯を使用するアイディアがありましたが、少し大きすぎることで却下。次に30mm径の塩ビ管がよそさうに思いましたが、これも径が少し大きすぎるそうです。でも、中に入れる五円玉の動きは余裕があってGoodに思いますがね。

25mm径の塩ビ管に落ち着きましたが、これにドリルの穴開け作業で不良品が山のように出かしました。塩ビ管ですので簡単に穴が開きますが、できた穴に竹ひごを通してみてる精度の悪さが一目瞭然です。高さが違う、真後ろに出ていない、など欠陥商品ばかりです。五円玉を通す穴が真後ろに出ていないと25mm塩ビ管の中で動きが鈍くなります。これは致命傷ですね。

穴を管の真後ろに開けるにはジグ(jig 治具)が必要です。13mmの塩ビ管をつなぐ部材がちょうど中に入ります。これに真横の真後ろに穴が開くように数回の失敗で何とか作成しました。
が、ジグも塩ビ管のため長持ちしません。穴が次第に大きくなってきますので、量産用には不向きです。
ホームセンターの中を探すこと小一時間。イレクターの金属製継手が25mm径なので切れ目を少しこじ開ければ使えそうです。価格は298円でした。他にドリルのボール盤が6,980円で在庫整理価格で出ています。店の奥の工作室を覗くとボール盤が無料で使用できると張り紙がありました。サービスカウンターで尋ねると持ち込み品でも使用できるといわれました。

ということで、穴あけはホームセンターのボール盤を使用することにしました。ジグはありませんので、1つ目の開けた穴に竹ひごを挿入し、水平又は垂直を確認しながら、管の一番高そうなところに狙いをさだめて作業を敢行しました。

塩ビ管の長さは33センチとし、切断は昔々イレクターでバラの棚を作ったときに購入したカッターを使用しました。サイズがピッタリでGood です。
端から15mmに毛糸を縛る竹ひご用穴、40mmに5円玉3個を通す竹ひご用穴を90度違えて開けます。五円玉は音が出易いように中でクロスするようにします。25mm塩ビ管は4m長のものを780円で購入しました。

結果はなんとか使用に耐える精度は出たかと思います。
竹ひごの余った部分をのこぎりで引きちぎりましたがのこぎりが滑って左手中指を名誉の負傷。
銭太鼓の作り方を参考に自作しています。数回に分けて失敗談を綴ってみます。

その1
銭太鼓には筒の中に五円玉が6枚入る予定です。
五円玉へ両替しようと某大銀行の両替機に向かいました。千円分を両替すれば全員にまかなえると思いました。千円札1枚から五円玉4本を希望しましたが、1本から増加できません。
しかたなく、250円分で両替しましたがおつり750円と当初あっても700円しか出てきません。
両替済みの取り出し口が開き、中には2本ありました。
5円玉の他に1円玉の50枚1本が追加されています。

窓口で相談しました。
「不要な1円玉1本が出てきました」と。
しかし、行員は1円玉も要求したのではありませんかとのたまわった。
五円玉1本しか両替を希望していませんというと、後方の行員に相談して「おつりの50円がなかったからだと思います」という。この理屈はちょっと不思議! おつりの50円がないとは表示がないので多分違うと思う。
「不要なので50円硬貨1枚と交換してください」と申し出ると、この用紙に氏名・住所と交換金額を記載して番号札を取ってお待ちください、と言われてしまった。
一気に数本交換できないのですかと質問したら、50枚を超える枚数の場合には手数料を350円いただきます、とのこと。これでは5円玉1本の合計金額より高くなってしまうので、割にあわないこととなる。

教訓
両替は50枚以内で行うこと。それ以上欲しい場合にはキャッシュカードの異なるもので次の分を両替してもらうこと。
従姉より熊本日日新聞社の五年史をもらった。従姉のお友達からご主人の研究資料の一部にと寄贈されたもののようである。遺品を整理していたら出てきたといって送ってくれたものである。
熊本で暮らしたのは高校生までであり、特にこれと云って教え叩き込まれた記憶はないが読んでいて熊本県人とあってよかったという気分になってくるのはどうしてか。

熊本日日新聞社は、昭和22年4月1日を以って創立満五周年を迎えた。宇宙の悠久に比すれば、五年の歳月は眞に一瞬に過ぎない。・・・とはしがき(p2)ではじまる27ページにすぎない冊子である。鉄のホッチキスは錆びて黒茶けた痕を残している。

以下、抜き出してご紹介します。
kumanishi5years.jpgページをめくると、以下の文言が目につく。
熊日の性格と理想(p1)
1. 自由獨立
1. 厳正公平
1. 家族共同体制の確立
1. 社會的水準の向上

[熊日の創立](p3)
熊本日日新聞は、企業整備に依り熊本縣下に於て古い歴史をもって居つた二つの新聞、九州日日新聞を廢刊し、九州新聞は解散して、兩社關係者に依り新に創刊した資本金拾九萬五千圓の株式會社である。昭和十七年三月二十六日熊本市公會堂に於て創立總会を開き、三十日に登記を済ませ、四月一日創刊號を發行した。当時の重役陣容は次の通りであつた。
取締役社長 伊豆富人
(以下13名が記載されている。省略)

[機構改革](p6)
幾度かの現業部門の機構改革が行われているが、18年3月には現業部門に総務局が作られ、加えて役員が現業部門中心に一新されている。取締役であった多くの方々が相談役に退き、現業部門のトップが重役に昇進している。

昭和18年4月6日の臨時株主総会で次のように選任されている。(p5-p6)
取締役社長 伊豆 富人
同副社長 吉川 義章
取締役 西嶋 満
同 村上 純
同 矢野 一郎
同 小堀 周二
同 有働 達喜
同 池添 一夫
監査役 大塚 勇太郎
同 中野猛雄
昭和20年12月5日の定時株主総会に於いて重役の選任が行われ、全員留任している。

[經營並びに編集方針](p8-p9)
※特筆すべきはここの部分かもしれない。

昭和十七年三月三十一日、熊日出發の際、伊豆社長は本社三階講堂に於ける創業式に於て、熊日經營並びに編集方針を演説した、それは社業の發達、工場施設の擴充は素より、特に従業員の待遇を改善して生活の安定を期し、品性を陶冶して新聞の倫理性を高め、新聞並びに従業員の社會的地位を向上せしむること、資本の搾取なく、勞力の被搾取なき勞資一如、家族共同体制を確立すること、さらに編集方針としては自由、獨立、厳正公平なる新聞を製作することといふことであった。(以下省略)

[5ヶ年間の重要事項](p13-p20)
※ここの部分にも特に目を引くところがあった。

ホ、輿論調査(p18-p19)
熊日は縣下唯一の民衆の新聞といふ立場から新聞の自由、獨立、報道の正確迅速、立論の公正、新聞の倫理の高揚等を信絛として編集して居るのであるが、獨善的に陥らず、足らないところは改善して、眞に民衆に信頼され、親しまれる新聞を製作するために、昭和二十一年七月次の諸事項に依り、輿論調査を行った。この擧は始めての試みであつたが、讀者の反響を呼び各項目に對する多數の回答が集り、編集に稗益するところが少なくなかった。
1. 熊日の紙面全般に對する御批判御希望
2. 熊日の社説、新生面、民の聲に對する御批判御希望
3. 熊日の報道記事に對する御批判御希望
4. 熊日の寫眞に對する御批判御希望
5. 熊日の印刷に對する御批判御希望
6. 熊日の文化欄、子供のページに對する御批判御希望
7. 小説、碁、將棋等の掲載に就て貴下の御意見
8. 其他の編集上に對する御注意御希望

末尾には当時の幹部と全従業員の氏名233名が記載されている。(p21-p27)

戦後に紹介されてきた西洋一辺倒の経営のあり方がより良い方式と云わんばかりでもてはやされてきたが、古来からの経営のあり方の方が普遍的な価値観があったのではないかと経営や編集方針、世論調査などを読むと感ずる。ゲルマン民族か東海岸のエスタブリッシュメントのものが唯一の経営論ではなく、江戸時代から明治時代にかけて来朝した異人が感嘆した日本人のありようをもう一度調べなおしてみることも年の初めの誓いとしてはいいことかも。

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